2009/07/17

祈りの心 感謝の心

感謝の心と祈りの心の違いについて。

感謝は受け身であり、祈りの心は積極的で前向きな心のことだと思う。積極的な祈りによって、相手への感謝を返すというのが、望ましい関係ではないだろうか。


祈りは、相手の幸せを強く願うことであり、相手が良くなり、進歩向上することを希求することである。相手への感謝の気持ちだけでは、こうした発展的な気持ちを生み出すことはできない。

そうした意味において、感謝だけでは、片手オチだと思うのである。


また、自分に向ける心としては、感謝の心だけではなく、発願の心が大事である。

「よし、やるぞ。」「頑張るぞ」と目標に向かって進んでいく姿勢がなければ、進歩向上はない。
神仏に基づく感謝、生かされていることへの感謝があるとするならば、有意義な人生を送るために、発願する心、志を立てる心に自ずから向かうのが本当であると思う。

要するに、感謝は必須の心ではあるが、万能ではない。感謝の心だけでは、消極的な人生になってしまう。他人の幸せを願う祈り、自分の進歩向上を目指す志、という積極的な気持ちがなくては、人生を果敢に生きていることにはならないのである。

そして、これが、ワールドメイト会員の精神であると思う。
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コメント

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積極的な心

やはり、人生、積極的に、果敢に挑む心は必要だと思います。確かに、感謝は、必要な心ですが、受け身的なところはあります。
感謝に基づいた、祈りの心、志を立てて発願する心は、豊かな人生を送るためには大事な心だと確信します。

伊××山道が様々な既存の伝統宗教や新興宗教の寄せ集めに過ぎない、ということは、専門家ならすぐに分かることです。

しかし、この伊××山道がもてはやされるということは、従来から存続している伝統宗教の方々が、国民に対して、分かりやすく丁寧に語りかけるということを怠ってきたことを象徴しているのかもしれません。

いずれにせよ、関係者の皆様にとっては、今後どういう態度で自分達の価値を伝えていくのか、その姿勢が問い直されているのだ、こう言えるのではないでしょうか。

一般の方々は、分かりやすいものが必ずしも良いとは限らない、という当たり前のことを思い出していただきたいですね。

簡単だが深淵な教え

WMの教えは、一言でいえば簡単だが、実は深淵な教えである。

思慮が浅い人は浅い人なりに、深い人は深い人なりに、それぞれが、それぞれの尺度によって解釈できるというものである。だから、ぱっぱら~新米薬寿師のような、ぱっぱらパーな人には、簡単な教えだと浅い解釈しかされないわけだ。

志を立てて発願する人にイ×リはよりつかんだろ。むしろ、内在に頼りすぎて志のない人や、外からお陰をもらおうとおもっているちゃっかり系統のものに寄りつくもの。明らかに歪んだ思想を根拠に、伊勢××道を宣伝するのはやめてくれ。

空気読めない奴。

また、志を立てることは、社会生活で生き残るためでもなんでもない。志を立てて、努力しているからこそ、御魂が発動し、内在の神が輝くということもあるだろう。感謝は明るい心には違いないが、神なる輝きを内在の神に与えることは難しい。志をたてて、精進努力して、困難に立ち向かうときに、御魂が奮い立ち、輝きを増す。

こんなこと、ワールドメイトの会員で、深見先生の教えを聞いている人なら誰でもわかるだろうに。

ワールドメイトにいても、こんな簡単な教えも吸収できなかった、ぱっぱらパー度合いなら、しょうがない。だが、そのぱっぱらパーな尺度で、いい加減なことを、言いふらすのはやめてほしい。目が腐る。気分が悪い。世の中に悪影響しかない。

ぱっぱらパーなら、ぱっぱらパーなりに、謙虚に、商売替えでもしたらどうだ。

ワールドメイトたたきで、金稼ぎをするのは、伊勢××道の教えに反するのではないかね
(_≧Д≦)ノ彡☆♪